アフターコロナについて考える1
さて、北海道は梅雨のうような毎日です。
昔はなかったのに・・・・・
気づけば物事は変化しております。
感染症が未だ猛威をふるっています。
今夏の問題は、病気の症状より、人類が風評被害という要素をくっつけてしまったことが最大の注意点です。
様々に科学的な知見から学者なり、評論家が意見を述べても噂話の方が先行してしまいます。
私の知り合いの神社にもなんで神社を解放しているんだと「コロナ警察」からの丁寧なお電話があったそうです。
もちろん我々も十分注意しているのですが、こういう時こそ神社の出番である、というのは神主達の総意でもあるので社務所は閉めている神社もあったようですがお参り自体は受け入れます。
全国の神社では病気平癒の祈願を行なっています。災厄消除、まさに先の大戦以来の国難であると私は認識しております。
さて、この後の世界はどのようになっていくのでしょうか?
元に戻るのか、このままの状態が続くのか、誰にもわかりません。
しかし、完全に元には戻らないのは確かなようです。
先にも書きましたが、病気をもらった、というだけで町を追い出される人、仕事を失う人、窓ガラスを割られたり、というような家もあったそうです。
ここまで科学を積み重ねて賢くなったつもりの人類はやはり、獲物を追っかけていた時代となんら変わらない噂話を優先し、本能のまま病人を村八分にする
まさに人間というものを改めて考えるいい機会になりました。
しかし、なぜ、コロナ警察のような本人に全くメリットがないことをするのでしょうか?
これには集団意識、集合意識、と言われるものに私たちは支配されているのではないかと考えるようになりました、。
その話はまたの機会に・・・・・
いつもと違う憂鬱な夏ですがどうかお体に気をつけてお過ごしください。